Paul Gauguin@名古屋ボストン美術館

自分は不思議なことに、今までゴーギャンの作品を見る機会がありませんでした。
もちろん、遠い昔に美術の授業でカビ臭い作品集を見た覚えはあるし、最近では書籍やネットを介して作品を見ることもあるんですけど。
今日は、敢えて予備知識を持たずに見てきます。
 
・・・見てきました。
自分はゴッホの絵が好きで、東京、静岡の両方の家にゴッホの絵のコピーを飾っています。
例の事件のときに、ゴッホと共同生活をしていたのがゴーギャンなので、予備知識無しにと言いながら、その辺りが気になりながら見ていました。
展示されている作品数が思ったより少なかったんですが、館内が混雑していたので、集中力が途切れない丁度いい量だったのかもしれません。
 
初期の作品は、タッチも色使いも、そのもの印象派でした。
でも段々と、印象派の雰囲気のまま、輪郭線がはっきりしてくるとか、ベタ塗りのようなタッチとか、大胆な色使いとか・・・タヒチに行く前から、ゴーギャン独特の画風が始まっていたんですね。
 
独特の画風を確立して以降の作品全体から受けた印象は、「温度」。
それも、ゴッホのような「熱さ」ではなく、人肌ぐらいの「温かさ」*1
タヒチの人々の、自然に寄り添うような素朴な生活と原始的な信仰から、そういう印象を受けたのかも。
 
今回の目玉である「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
集大成と言われるだけに、圧倒的な存在感を持って迫ってきました。
この作品を見るだけでも、このゴーギャン展を見に行く価値があると思います。
 
初期の作品のなかで気になったのは「アリスカンの並木路、アルル」(1888年)
私の静岡の家の玄関には、ゴッホの「アイリスの咲くアルルの眺め」(1888年)が飾ってあります。
どちらも、穏やかな風景画です。
二人が共同生活をしていたこの年、こんな穏やかな絵を描いていながら、ゴッホは耳切り事件を起します。
何があったのでしょう?・・・謎が深まっただけでした。
どのような背景があったにしても、魅力的な絵でした。
うちの玄関がもう少し広かったら、2作品を並べたいところです。
あと、この作品に限らず、アルルの風景画には、心惹かれる作品が多いです。
アルルに行ってみたくなりました・・・次のリフレッシュ休暇にでも*2

*1:裸体が多いからというわけではないですよ。

*2:何年後だよw